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高齢者保健福祉に関する歴史
福祉六法
第2次世界大戦後、社会福祉に関する制度が新たに制定されました。
福祉三法
1940年代後半には、戦後に福祉三法が制定されました。
「生活保護法」(1946年制定→1950年改正)
「児童福祉法」(1947年)
「身体障害者福祉法」(1949年)
それぞれ戦争によって生活に苦しんでいる人、親をなくした子ども、障害を負った軍人を救済するために制定されました。
福祉六法
その後、1960年代に入るとさらに3つの法律が制定されました。
「福祉三法」
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「精神薄弱者福祉法」(1960年) ※現在の「知的障害者福祉法」
「老人福祉法」(1963年)
「母子福祉法」(1964年) ※現在の「母子及び父子並びに寡婦福祉法」
福祉三法だけでは救済できない人に対して、法律が整備されました。
これら6つの法律を合わせて福祉六法と呼びます。
老人福祉法が制定されたことにより、これまで生活保護法の中で行われていた高齢者福祉が切り離されることになりました。
老人医療費の無料化→有料化
1961年には、すべての国民が加入する国民皆保険と国民皆年金の制度が確立しました。
さらに、1972年には老人福祉法が改定され、1973年から老人医療費(70歳以上)が無料化されました。
政府はこの1973年を「福祉元年」と位置づけています。
しかし、1973年に始まった石油危機(オイルショック)や急速な高齢化により日本の高度経済成長は終わりを告げました。
この影響で社会福祉に関する費用の見直しがされました。
1982年に老人福祉法が成立したと同時に、老人保健法が改正され、
老人の医療費が有料化されました。
ゴールドプラン
高度経済成長期以降、日本では都市化や地域の過疎化が進み、地域社会がこれまで持っていた相互扶助の機能が弱くなっていきました。
家族についても、核家族化や女性の社会進出などによって、家族の不要機能が低下しました。
こうした状況から1980年代以降、高齢者の暮らしを地域で支えていくための体制が考えられるようになりました。
高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)
1989年に策定されました。
1990年度から1999年度(10年間)の保健福祉サービスを整備するために計画されました。
新・高齢者保健福祉推進十カ年戦略(新ゴールドプラン)
1994年に策定されました。
ゴールドプランで見積もられた目標数値が修正されました。
今後5か年間の高齢者保健福祉施策の方向(ゴールドプラン21)
1999年に策定されました。
新ゴールドプランが終わりを迎えることから、新たに策定されました。
介護保険法の制定
ゴールドプランが策定されて以降、高齢者福祉サービスの体制が整備されていきましたが、
老人福祉法や老人保健法の制度が抱えている問題も指摘されるようになりました。
例えば、老人福祉法が採用していた措置制度は、市町村が必要なサービスを判断し、決定する仕組みであったため、
利用者が自らサービスを選択することができませんでした。
また、老人保健法においても医学的には入院する必要がないにも関わらず、家庭や地域の事情から病院で生活をする社会的入院といった問題がありました。
1994年に提出された「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」という報告書の中で、これらの問題点が指摘されたほか、
社会保険方式による新しい高齢者介護システムである「介護保険制度」を創設する提案も出されました。
この報告書をもとに1997年に介護保険法が成立し、2000年に施行されることになりました。
これまで老人福祉法のもとで「措置」という仕組みで提供されていた福祉サービスが、利用者と事業者の「契約」という形で提供されることになりました。
認知症施策の動向
包括的な認知症施策の策定
オレンジプランの内容を修正
「認知症の人が住み慣れた地域のよい環境で、自分らしく暮らし続けることができる社会」の実現に向けて
新オレンジプランの内容を発展
団塊の世代が 75 歳以上となる2025年までを対象期間として、認知症になっても地域で安心して暮らすことができる「共生」と認知症の発症や進行を遅らせる「予防」を車の両輪として施策を進める
1 普及啓発・本人発信支援
2 予防
3 医療・ケア・介護サービス・介護者への支援
4 認知症バリアフリーの推進・若年性認知症の人への支援・社会参加支援
5 研究開発・産業促進・国際展開